2005年の上海。

当時の中国雑技団の公演は,ほとんどの客が中国人で・・・
外国人なんて全く居なかった。

今と違って 全部 中国語。 
本当に英語表記のパンフレットすらなく,大変だった。

チケット カウンターでも英語が通じず・・・
Sさんに電話して交渉してもらう始末。 サンガレン! 晩 晩! 
こんなことしか言えなかった。 汗
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フト・・ 思い出したが, この時に私は 伊藤歩 系の 美女に躓いてしまう。
Fちゃんと言って 写真を撮ってくれるように 頼んだら
(私は,写真を頼むときは必ず美女に声をかける癖がある。) 
片言の英語で色々とお話をして 友達になった。
当時はE-mailとicqというチャットを使っていたけれど・・・。
いつの間にか,音信普通になってしまった。 

一番の原因は,この後,私は大阪からアメリカへ引っ越ししてしまい,
時差が13時間もあり,大阪に居た頃の様にチャットの時間が合わなくなってしまったのだ。

シカゴへ移ってからは, 当分 中国へ戻ることはなかった。 
2年間,中国大陸から遠ざかってしまった。

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北京とは違い,まだ12年前の上海はマスクなしでも過ごせた。

そして・・ 浦東を外灘から眺めても・・・

上海中心も上海フィナンシャルセンターも当時は無く,色々とネオンが綺麗だった。

今では外灘クルーズしたら上を見上げるけど,当時は一番高くてもジンマオタワーだった。

地震の起きやすい土地柄,日本には300mを超す高層ビル(電波塔なら2つあるけど)
が1つしか無いけれども,中国や中東諸国はこういうのが好きなんだろうな・・・。 

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そういえば・・ 上海のOさん,Tさん,そして蘇州のSさん・・・
何故か? 皆 豫園へ連れて行きたがる。 
気づくと私は・・ 豫園へ計5回行っている。 汗

Sさんと。 ツァーで。 Tさんと。 虹橋の日式KTV嬢と。 現地妻とのデートで。

内部へ入らないことも多々あるので・・ 豫園商城なら,その倍は行っているかもしれない。

私がとりあえず外国人を浅草へ連れて行くのと同じ感覚なのだろうか?

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ちなみに,それだけ行っておきながら・・・
豫園商城の中で御飯を食べたのは1度しかない。 
聞いてみると,あまり値段的にも美味しさ的にも中国人達に評判が良く無いからだ。

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2005年当時の南京路。 当時はティーガールはあまり居なかった。 というか,声をかけられなかった。
ただ単に 私が若かっただけかもしれないけれど・・・

逆に・・ 偽ローレックス。 おもちゃ。 小姐按摩。 観光ツァー。

そんな勧誘ばっかり。  汗

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今迄に20回近く上海に来ているのに,外灘観光トンネルは1度だけしか乗っていない。

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その1度とは,この2005年の12月。 

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こちら側(浦東)に降りて・・・。
ここにエロの性博物館があったのではあるが・・

その存在を知ったのは,これから2年後。

そして・・・ 浄化政策の名のもと・・
現在は無いようだ。

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地下鉄2号線やら タクシーやら・・・

気づくと, 外灘を渡るのにこのトンネルを使う事は,その後1度も無かった。